それは思っていたよりも根深いものだったのだと、大人になった今、思い知る。
「自分の価値観を変えることは、難しいことだってわかってるよ。でも、皆が皆、結婚して不幸になっているわけじゃないだろ」
甲斐は、私を諭すように言葉を紡いでいく。
「現に青柳なんて、誰がどう見ても幸せそうじゃん。夫婦仲も良いし、結婚しなければ良かったなんて愚痴は一度も聞いたことないだろ?」
「……結婚して、stock trading singapore ちゃんと幸せになってる夫婦が沢山いることは私もわかってるよ」
賑わう街の中で、すれ違う見知らぬ夫婦は皆幸せそうに笑っている。
羨ましいと思う反面、自分には無理だと最初から諦めてしまうのだ。
それはネガティブな性格のせいではない。
きっと本能で悟ってしまっているのだ。
恋愛は出来ても、結婚には向いていないと。
「同じマンションの下の階に住んでる夫婦も、いつも週末は二人揃って出掛けてるし」
「だったら、七瀬だって……」
「他の夫婦が幸せなんだから、自分だって幸せになれるとか、そんな簡単なことじゃないの。……仲の良い両親の元で育った甲斐にとっては簡単なことかもしれないけど、私は違うから」
こんな言い方したくなかった。
こんなことを言いたいわけじゃなかった。
私はただ、甲斐と二人の時間を過ごしたかっただけなのに。
……頭が、割れそうなくらい激しく痛み出す。嫌な沈黙が二人の間を流れる。
きっと普段は私を見放すようなことなんてしない甲斐も、さすがに呆れてしまったに違いない。
「……嫌な言い方して、ごめんね」
謝ってはみたものの、甲斐の顔を直視することは出来ずに目を逸らした。
「いや……俺の方こそ、ごめん」
「甲斐が謝ることじゃ……」
「でも俺は、別にお前に結婚願望を持ってほしくて口を出したわけじゃないから」
甲斐の指先が、私の前髪に触れた。
「ただ俺は……お前が苦しそうに見えたから」
「え……」
「結婚には向いていないって言うお前の顔が、凄く苦しくて寂しそうに見えたんだよ」
「……」
知らない内に、私は苦しんでいたのだろうか。
本当は、いつか自分も結婚をして幸せな家庭を築きたいと願っている。
でも、その理想に自分の気持ちが追い付いていない。
なぜ、甲斐にはわかるのだろう。
私自身でさえ、気付けていないのに。
自然と涙が込み上げ、鼻の奥がツンと痛くなる。
布団で顔を隠して必死に涙を堪えていると、甲斐の声のトーンが少し変わった。
「そういえば、例の男にこの間会ったよ」
「例の男……?」
「久我匠」
「……」
甲斐が久我さんに会ったと聞き、私の思考は混乱に陥った。「久我さんに会ったの……?どうして?ていうか、どこで?」
堪えていた涙は、いつの間にか消え去っていた。
「まぁ、ちょっと……偶然。あの人、絶対モテるだろうな」
「……だよね」
「女からだけじゃなくて。仕事も出来そうだし、いちいち余裕があるし、多分同性からも慕われてる人だと思った」
甲斐は、基本的に人のことを悪く言わない。
他人の短所に目を向けるのではなく、長所を瞬時に見つけることが出来る人だ。
だからこそ、初対面の人とも親しくなれるのだろう。
どこでどんなシチュエーションで会ったのか気になるけれど、甲斐は詳しく話してくれなかった。
「多分いい人だろうから、あの人はお前の元彼みたいな裏切りはしないと思うよ」
「……うん」
甲斐は、さりげなく私に久我さんを勧めているつもりなのだろう。
甲斐にとって私は、仲の良い女友達でしかない。
一度身体を重ねた関係でも、結局関係の本質は変わらないのだと思い知らされた。
これ以上、久我さんを勧めるような言葉は聞きたくない。
そう思い、続きの言葉を阻止しようとしたときだった。
「でも、俺は嫌」
「え……」
「七瀬のこと、あの人に渡したくない」
今度はちゃんと、視線を合わせた。
甲斐の瞳が、不安げに揺れている気がした。ゆっくりと甲斐の顔が近付く。
私と甲斐の気持ちは、同じなのかもしれない。
私はキスを受け入れるために目を閉じた。
そのとき、一筋の涙が私の頬を伝った。
唇が触れる寸前で、甲斐は私が涙を流していることに気付いた。
「七瀬……」
「あ……ごめん、何でだろ……今泣くとか、おかしいよね。熱のせいで情緒不安定になってるのかな」
私は慌てて涙を拭ってみせた。
するとそこで部屋の扉がドンドンとノックされ、勢いよく開いたのだ。
「甲斐!お前、さっきからスマホ鳴ってるぞ」
ズカズカと部屋に入ってきた青柳に泣き顔を見られると思ったのも一瞬で、瞬時に甲斐が私の顔を布団で隠してくれたため、青柳には泣いていることを知られずに済んだ。
「あれ、七瀬どうした?やっぱ食べ過ぎで具合悪いとか?」
「七瀬は少し休むって。とりあえず俺らは部屋に戻ろう」
甲斐は私の頭を優しく撫でてから、立ち上がった。
「今は何も考えずにゆっくり休んで。おやすみ」
私は甲斐の優しさに甘え、小さく頷いた。
「電話の着信相手、高橋真白って名前出てたぞ。確かあの元カノだよな?」
二人が部屋を出て行く直前、青柳が甲斐に発した言葉が変に頭に残ってしまった。